ママたちの体験談

友達が買ってきてくれた物資がありがたかった

熊本市東区 H.Y 子供:11ヶ月(男) 公開日:2016.11.15 更新日:2016.11.15

前震・本震直後

前震の時は自宅アパートにいた。歯みがきしている時に揺れがきたので、テーブルの下に入っていた。それから外に出て、避難所に行った。夫は職場に行かなくてはならなかったが、夜中に避難所に帰ってきた。お年寄りも多く、子供が泣く声など気をつかうので、座敷には寝るのをやめて車中泊した。

前震の後、まだ警戒するようにとテレビのテロップが流れていたので、本震の日は、アパートのすぐ近くにある夫の実家で寝ていた。揺れてからすぐに停電したので、夫の実家が経営しているコンビニに行った。お店も散々な状況だった。商品や電灯などが下に落ちていた。その日はコンビニの駐車場で車中泊した。

夫の実家は半壊

夫の実家のコンビニは、地震後一度閉めたが開けた。どこかに食べ物はないかとみんな殺伐としていた。発注していた分は来ていたので、おにぎりやパンなど個数制限して売っていた。その後はおにぎり・パン・冷やし中華などガスや水道がなくてもすぐ食べられるものを大量に仕入れた。 夫の実家は、半壊として認定された。修理するのも難しいので、建て直す予定だ。かろうじて住めている状態なので、義理の母と義理の父はみなし仮設に入る手続きを進めているところ。 自宅アパートは鉄筋だったので、食器が1枚割れ、パソコンが下に落ち、観葉植物が倒れていた程度で済んでいた。アパートには電気がすぐに来たので、車中泊をしたのは2泊ぐらいだったと思う。車の中では興奮するのか子供が寝ないので、家の中で寝るようにしていた。

離乳食・お風呂・水について

離乳食は後期に入っていた。電気がすぐ来たので、家に備蓄していた離乳食のレトルトを電子レンジであたためて与えていた。離乳食にあきて食べなくなることもあったので、そこは母乳で乗り切った。

水道が一週間近く使えなかったので、お風呂は遠くの知り合いの家に入りに行った。あとは体を拭くなどして乗り切った。植木や山鹿の温泉が開いているという情報もあったが、渋滞して入れなかった人もいたと聞いている。水は、そのほか合志の弟の家からもらってきた。合志の方は水道もすぐ使えるようになっていたので…。弟の家にあったポリタンクに水を入れて持って帰った。弟の家には一泊させてもらうなどとお世話になった。子供は着替えなくてはいけないので、子供の服がだんだんなくなっていた。夫の母と父の知り合いが地下水をくみ上げている人がいたので、そこで水をもらったり洗濯をさせてもらったりした。そんなわけで水はとぎれずになんとか使えた。

水道をひねっても水が出ないもどかしさ…。水道やガスも復旧した後は、なんて恵まれた生活をしてたんだろうと思った。日々あたりまえのように使っていたものが使えないってこんなに不便なのだと思った。

また、近くの保育園でオムツや離乳食、アルコール入りのペーパータオルなどの支援物資を配っていたので、利用していた。炊き出しもその保育園で行われていたのでお世話になった。

山鹿に住んでいる友達が、離乳食のレトルトなど物資を買ってきてくれたのがありがたかった。アパートの周辺のお店は閉まっていたので、支援物資が来るまでは友達が買ってきてくれた物資でしのいだ感じ。

実家に帰ろうとも思ったが、実家も食器棚が倒れていてガラスの破片とかが危ないと思い帰れなかった。実家には犬がいて、ペットが入れる避難所は遠かったので、実家の母と父は車中泊していた。

とにかくこの地震では、周りの人がとてもよくしてくれたので、乗り切れた。夫は仕事で日中いないので…。4月だったので、気候もよかったと思う。これが暑い夏や寒い冬ならもっと大変だっただろう。

備蓄について

ストックしていてよかったものは、ベビー用のお菓子・ベビー用の麦茶。どこもお店が閉まっていて手に入りにくかったので。あと、ストックしとけばよかったと思ったものは、水・ガス・電気を使わなくても食べられる食べ物。乾パンとか水とか、防災グッズは何一つ準備していなかったので。

(エリア:熊本市東区長嶺)

教訓
  • 周りの人とのつながりが強い安心につながる
  • ベビー用の麦茶やお菓子、水・ガス・電気を使わなくても食べられる食べ物は備蓄しておくべき