ママたちの体験談

熊本地震から1年、ようやく工事が終わり自宅で暮らせるように(筆:ごんちゃん)

南阿蘇村河陰久木野 ごんちゃん 子供:1歳7か月(女) 公開日:2017.04.18 更新日:2017.04.19

前震

14日夜の前震があった時、夫はまだ仕事から帰っておらず、一歳7ヶ月の娘と二人、南阿蘇村の自宅で就寝準備中だった。幸い子供が生まれてからは低いテレビボードしか家具のない和室で過ごしていたので、何かが倒れてくることはなかったものの、ただあまりの地震の大きさに、ひたすら娘を抱き締めて揺れがおさまるのを待った。揺れが止まった直後に夫から電話があり、幸いにもすぐに家族全員の安全を確認できた。 熊本市南区にあった夫の会社の事務所も倉庫も、冷蔵庫まで倒れて仕入れていた商品も散乱してると聞いて、その時点では自宅より酷そうだなと思った。

テレビをつけると、震度7は益城町だというので、夫には今日は帰ってこないで実家に泊まるように伝えた。 自宅と職場の間に益城町があるので、信号が止まったり陥没していたりするかもしれない場所を夜に通るのは避けた方が良いだろうと思ったのだ。 ガスの元栓を締めたかったが、キッチンと食器棚の狭い間を、娘を抱いたまま通るのは、余震で倒れてきそうで怖くて断念した。既にパジャマだった私は急いで着替え、娘も着替えさせてだっこ紐で抱え、取り急ぎ荷物をまとめて車へ。 余震が怖かったのもあるが、和室の多い家なので揺れる度に四方から障子やふすまがガタガタ鳴って娘がむずがってなかなか眠れなかったからだった。その日は娘を抱きしめたまま車中泊。 毛布などを車内に持ち込む余裕がなかったのでその夜はすごく寒かった。

翌朝、明け方にコンビニですでに残り少なかった食糧や飲み物を買い込んで阿蘇大橋を渡り、益城にも近く被害が大きかったという熊本市東区にある実家へ向かった。途中道路状況が気になったので、益城や西原にある空港のトンネルと新空港線を通過した。信号は止まっていたが、私が通った道路は15日朝の時点では陥没している所はなかった。実家につくと道路にまで瓦が散乱。憔悴した両親と一緒に片づけをして、ようやく夜に夫と合流。実家の二階で休んでいたところに16日の巨大な本震がやって来た。

本震

恐怖はあったが、前日の経験と娘の存在のおかげで妙に落ち着いていたのは今思い返しても不思議だ。揺れ始めるとほぼ同時に飛び起きて娘に覆いかぶさるようにして抱きしめた。それと同時に夫にドアを開けてもらい、次に降ってくる恐れのある照明器具を取り外してもらった。ドアが開かなくなって避難経路が塞がるのが怖かった。揺れにふらつきながら照明器具を部屋の隅に置いた夫は、部屋の真ん中で娘を抱き締めたままの私を守るように抱き締めてくれた。あまりに大きく長すぎる揺れに、家が潰れることも考えて、一階で休んでいた両親と、隣室の弟も私たちのいた部屋に集めて揺れがおさまるのを待つことにした。

大声で呼ぶと這うようにして階段をあがってきた両親。部屋の一番奥に寝ていた弟は、部屋の家具という家具が倒れ、壊れた本棚から投げ出された大量の本に阻まれた為、かなり遅れて合流。合流した後も、本当に長い長い揺れが一旦収まっても、すぐに余震が続いて、いつ揺れが止まるのか…というぐらい立て続けに揺れた。揺れる度に外からは瓦が落ちる激しい音と、近所の人たちの悲鳴が聞こえた。

部屋の壁が外れて内側に倒れてくるのを見て、このままではダメだと思った私は「車へ逃げるからこれを持っていって!」と手近にあった着替えを積めたボストンバッグと自宅の権利書や保険証書を入れた紙袋を夫に託し、抱き締めていた娘をダッコ紐で抱きなおし、貴重品と娘のオムツやおしりふきを入れたリュックを背負った。両親と弟には「車で寝るから毛布と貴重品だけ持ってすぐに避難!」と指示すると、実家の隣にある父の会社の月極め駐車場に停めていた車へと避難した。両親と弟、夫の車も空いていたスペースへ車を移動していると、近所の方たちも不安そうな表情で家の外へ出てきた。私たちが駐車場に車を並べて寝るつもりだと伝えると、近所の五軒のご家族も停めさせて欲しいとのことで、皆で車中泊をすることに。その夜は何度も襲う大きな余震に不安を感じながら、前日同様ほとんど眠れずに車で朝を迎えることになった。

朝、周囲の様子はもちろん、自宅のある南阿蘇村や益城・西原の惨状を知って愕然としたのは言うまでもないが、南阿蘇村の自宅へ戻る二大ルートをどちらも失った。実家のなかは家具とものが散乱してぐちゃぐちゃ。 瓦もほとんど落ちて壁にも大きいものも含め沢山ひびが入ったものの、幸い全員けがもなかった。 それがなによりありがたかった。

避難生活1(車中泊)

当初は避難所へ行くことも考えたが、父は家を離れたがらず、小さな娘を連れての避難所生活も娘への負担や他の避難者のことを考えて断念。東区は人が多すぎたのか、炊き出しはおにぎりを一人一個を素手に手渡し。水の容器も足りず「容器のある人は給水車が来ますよ」という状態。父と弟が2時間待ちでようやくポリタンク一杯の水をもらってきた。

夫は初日は一緒にいたが、翌日からは通常通り会社へ向かった。夫の会社は農産物を全国へネット販売する仕事。震災があっても農作物は育っていくので休むことはできなかった。仕入れ済みで発送できない商品などを避難所の炊き出しへ持ち込んだという。その後も仕入先の農家の安否確認や援農を行い、出荷ができるまではずっと客対応に追われていたようだった。

数日中に県内外の親戚・知人から直接・間接の支援物資が届いた。父は数日で車中泊に疲れ、まだ片付かない自宅で寝始めたが、私と娘は部屋の壁が倒れてきていたこともあり、4月末までの2週間強を車中泊で過ごした。幸い、私の車は軽自動車ながら後部座席がフルフラットになるタイプだったので、本震の翌日からは実家からなんとか持ち出した布団を何枚も敷き詰めて、娘は大の字で、私はその隣で少し小さくなってではあるものの横になって眠れたので、シートに横になっての車中泊をしている方に比べたら遥かにマシな環境だったと思う。

実家のあたりは停電は本震の4日後ぐらいに解消、断水も一週間ほどで解消したので、オール電化だった実家では都市ガスの家庭に比べたらライフラインの復帰もかなりスムーズだった。トイレや調理のために大きなヒビの入った実家に入る時は、余震の度に降ってくる瓦に備えてヘルメット着用で玄関は開けたまま。昼間過ごすのも食事をするのもカーポートに出したテーブルとキャンプ椅子で。娘をお風呂に入れるのも2日に一度、先に入った私のところへ娘を連れてきてもらって、洗髪して体を洗ったら2分ほど湯船につかり、先に車まで連れていってもらうという方法をとっていた。天気のいい日の昼間は、底付蚊帳の中におもちゃや遊具を置いて、娘の遊び場兼お昼寝スペースにしていた。通りかかった近所の子供たちも喜んで遊びに来ていた。大変だったが、娘はそれなりに楽しく過ごしていたと思う。

避難生活2(長距離片付けと被害状況)

5月の初めからは車中泊も限界があるので、実家の元の部屋で寝泊まりした。倒れてきていた壁は応急処置で押し込んで上からビス止め。天井から垂れ下がっていた電気のコードと外れてぶら下がっていたエアコン、枠から外れて屋根に落ち、ガラスが割れたサッシは、電気屋さんとサッシ屋さんが大変な中、早めに修理してくださったので元通りに。ただし、屋根は当分ブルーシートがかけられた状態で、強風でなんどもはがれては家の中で「ジャー!」と音がするほど盛大に雨漏りした。

19日にはグリーンロードを通れるようになったと知り、自宅の様子を見に戻った。市内はささやかながら商品を売ってくれる店舗があったので、南阿蘇の子供たちが困っているのではないかと思い、ミルクやオムツなどを買い込んで出発。ひび割れたり傾いたりした道路を砕石でなんとか通れるように修復した道路は緊急車両で渋滞していて、片道3時間半かかった。

持参した物資を福祉センターに届けて自宅へ戻ると、瓦が落ちたのは少しだったが全体的にガタガタにズレていたので、家のあちこちで雨漏りして天井も畳もその他もろもろずぶ濡れに。 照明器具のカバーの中にも雨水が大量に溜まっていた。家のあちこちの棚も倒れていた。もちろん食器棚も中に入った電子レンジや炊飯器ごと倒れていた。本震時に自宅にいたら大けがをしていたかもしれない。

手元にブルーシートもなく、屋根はどうしようもなかったので、逃がせる家電を外部物置に逃がし、ブレーカーを落とし、カウンターを乗り越えてようやくガスの元栓を締めた。冷蔵庫の食品をご近所の炊き出しに充ててもらうよう託して再び3時間かけて実家へ。翌日からブルーシートを調達しようとお店を回ったがどこも売り切れで入手できず、父の伝手で建築資材の卸業者さんの倉庫まで行って、なんとか購入。

次の夫の休みに自宅へ戻ったが生憎の小雨。中に入ると湯船は雨漏りの水で満水状態。なぜかタイルの割れたところには巨大なきのこがいくつも生えていた。天井にも畳にも白や黒のカビが大量に。クローゼットも雨漏りしていたのでクリーニングに出すコートやスーツ類がことごとく雨漏りの犠牲になった。

小雨でもシートをかけないとますます家が傷むので、意を決して余震の続く中ヘルメットを装着して私が屋根へ上がり、人生初のブルーシートかけにチャレンジ。以前設計事務所に勤務していた私は、何度も屋根の上ぐらいまではあがったことがある(ただし足場がある状態で)し、万一夫が屋根から落ちて怪我でもしたら稼ぎ頭がいなくなるので、夫には登らせなった。余震はもちろん、濡れた屋根の上は本当に怖かった。

しかも、濡れたブルーシートはウォータースライダーの上をむりやり歩いてるように良く滑った。そうやって頑張ってかけたブルーシートだが、その後強風で何度もはがれてはかけなおしを繰り返し、最終的には「ブルーシートかけを専門でやっているボランティアグループ」の方たちにかけなおしていただいた。一般のボランティアの方には、当然ながらそんな危険な仕事はお願いできないので、おそらく登山家の方たちだと思うが本当にありがたかった。

別の日には、ボランティアの方お二人に来ていただき、カビた畳を起こして、濡れてふやけてダメになった大型家具を捨てて頂いた。宮崎と高知の方だった。

夫は基本的に日曜だけ休みだったが土曜に休みをもらい、アウトドアショップのモンベルさんから無償でテントとマットと寝袋を貸して頂き、あそ望の郷にテントを張って二泊三日で片付けキャンプを決行。ようやくカビた天井を夫に拭いてもらい、畳を外で日干しすることができた。アウトドア養援隊という張り紙をしてあるモンベルさんの窓口にいた方は、ご自宅は西原村で大規模半壊だったそうで、奥様とお子さんは県北のご実家へ避難している中、ご自身は店舗に寝泊まりしながら被災者のためにテントの貸し出しやテント張りや撤収をして被災者支援をされていた。

その後は娘と二人で週に3日ペースで片付けに通った。実家から日帰りで片付けに通うと片道1時間半、往復で3時間も娘に山道ロングドライブを強いることになり、更に自宅に着いてもまだまだ危ないところだらけなのでおんぶ紐で一心同体状態での片付け。娘への負担が大きすぎるので、毎日通うことはできなかった。また、雨が降ると途中の土砂災害が怖いので、天気の良い日でないと片付けに通う気にもなれなかった。結局地震から一ヶ月半、ほとんど片付けも掃除も進まなかった。

そんな中、フェイスブックでママ友さんたちと連絡を取り合って子供たちを一緒に遊ばせる機会を何度か持てたことで、私も娘もホッとする時間をもらえた。「ことあそあそのこ」さんがペンション森のアトリエさんで開いてくださった「ほっこり会」でも、支援物資や情報を頂き、ママ友さんたちや子供たちと過ごすことができた。

避難生活3(二次避難所)

5月末から7月末までは二次避難所の一つ、阿蘇ファームランドに入居させて頂いた。ありがたいことに美味しい食事とお風呂、そして世帯に一棟ずつドーム型のコテージを提供して頂いた。これをいうとたいていの方からは「うらやましい!」と言われるが、ファームランドさんもかなり被災していた。元々広い敷地内を散策しながら歩くのを目的とした宿泊施設なので、宿泊棟からフロントまでがかなり遠く、小型バスが周回運行。運行していない時間帯もあり、その時間は豪雨でも炎天下でも歩きでの移動だった。フロントの隣が大浴場だが、フロントから食事会場までは徒歩で3分ほど歩いたところから更に別のバスに乗って移動。フロントに近いほうのレストランは3か所とも復旧作業中で、使える施設は客室から最も遠い所。駐車場もフロントから徒歩で10分ほどの距離にあり、雨の日の移動はもちろん、小さな子供連れやお年寄りにはなかなか大変な生活だった。貸して頂いた部屋もフロントから一番遠いエリアにあり、フロントからは約1キロの坂道だった。娘も毎日たくさん歩くからか、夕食から戻るとほぼ毎日寝落ち。食事中に寝てしまって、食事会場から背負って戻ることも多かった。具合が悪いと食事会場へ行くこともできず、代わりの食事があるわけでもなかった。高齢者の方にも、食事会場が遠くて一日に一度しか食べに行っていないという方が何人もいた。施設内のコインランドリーも最初の1ヶ月は整備されておらず、車で10分〜15分移動しないと洗濯できないので、全半壊の自宅へ戻って洗濯している方も多かった。敷地内も当時は立ち入り禁止の危険地区が沢山あり、子供の手を放して散歩できる環境とはいえなかった。それでも、施設もスタッフさんも被災している中であたたかく迎えてくださった阿蘇ファームランドさん、一部損壊にも関わらず状況を考慮して二次避難所へ入れてくださった役場の方には感謝でいっぱいだ。

避難生活4(再び実家へ)

8月から再び実家へ。その頃から自宅の改修工事に入り、工事の立会いも兼ねて片付けに通った。子育て支援センターが再開してもらえたので、娘を遊ばせるのを優先。帰りに娘が車で昼寝をしている間に片づけをした。工事期間はほぼ毎日。それ以外の時は週に3日ペースで南阿蘇に戻って来た。春からの無理が祟ったのか、秋には私が肺炎、娘も気管支炎になった。3月末にようやくほとんどの工事が完了し、ようやく帰宅。約一年の長くて短い避難生活だった。

あって便利だったもの

ダッコ紐は枕元に置いて寝ていたので良かった。また、ポップアップ式の底付蚊帳は軽量で収納も簡単で、子供も大人も安心して手足を伸ばせた。小型のポップアップ式のテントも日差し避けに重宝した。キャンプ用の布製の折りたたみ椅子は、実家にたまたま人数分あったのでとても助かった。

子供でも使える虫除けスプレー、虫除けリング、日焼け止め等は屋外での避難生活には必需品。カセットコンロはライフラインが復旧するまでの、貴重な調理器具。フルフラットになる車は、今後買い換えるときもフルフラットは必ず条件に入れようと思うほど重宝した。

懐中電灯と予備の電池は車の台数分あって良かった。加熱しなくても食べられる離乳食を送ってもらって助かった。おしりふきはウエットティッシュ代わりにも使えて便利だった。サランラップは洗い物を減らすのに使った。

2017年4月13日 筆:ごんちゃん

教訓
  • 大地震は長い間揺れる、余震に注意
  • 大地震後に家の中が危険な場合、庭で過ごすこともあり得る
  • 大変な中でもほっとできるひと時を持てるようにするとよい
  • だっこが必要な月齢の子がいる場合、だっこ紐を枕元に置いておくこと
  • ポップアップ式の底付蚊帳やテントは庭での避難生活に便利
  • 屋外での避難生活には、虫よけスプレー、日焼け止めが必需品
  • 一家に一台カセットコンロ
  • フルフラットになる車は横になって寝られるので車中泊に便利
  • サランラップを皿にかぶせれば洗い物が減らせる