ママたちの体験談

ミルク瓶は自衛隊の人に熱湯をもらって洗っていた

阿蘇市内牧 T.O 子供:小2(男)、6歳(女)、4歳(男)、6ヶ月(男) 公開日:2016.11.15 更新日:2016.11.15

前震・本震直後

子供達が寝た後夫婦で晩酌していた時、前震がきた。強かったので、ちょっとこれは家から出ようということになり、その日は夫が勤める病院の駐車場に車中泊した。車の中でテレビを付けて県内の被害の状況を知った。

本震の時は、家に帰っていて、みんな1階のリビングのわきに布団を敷いて寝ていた。「早く寝らんと地震が来るよ!」とか言って寝かしつけた。ゆれた時は夫が一番びびっていた。あの時混乱していたので、停電していたのか何なのかも不明だが、今考えると月夜だったので明るかった。前震があったので、貴重品やオムツ、何回分かのミルク、財布、車の鍵、通帳に印鑑など、持てる大きさのマザーバッグに備えていた。それを持って出た。

ミルクは小分けにできるプラスチックの入れ物に入れた他、スティック状の持ち運びできるタイプのを入れていた。ミルク用のお湯は、2回分ぐらい使える量を、子供用の魔法瓶に入れて用意していた。自衛隊が来る前は、夫が働いている病院のスタッフ室にお湯があったので、そこのをもらうなどもしていた。病院は自家発電があるので、電気がついていた。

避難所の阿蘇中へ

避難所は、家から近いので阿蘇中に行った。揺れが収まったら帰ろうと思っていたけど収まらず、帰れなかった。結局車中泊を2泊、避難所に4泊した。最初の頃は阿蘇中は電気もつかなくて開かなかった。体育館に避難して一泊目はまっくらで、トイレや食事は懐中電灯と携帯のLEDなどをみんな使っていた。一番下の息子と同じ日に生まれた子を持つ友人と一緒にいることにしていた。

避難所にいる時、昼間だったんだけど娘が吐いた。受診したら、ストレスだろうと言われた。

トイプードルが2匹いるのだが、ゲージの中に入れっぱなしでかわいそうだった。避難所に連れて行ってもいずれ車の中なので、それよりはと夫と話し合って家に残すことにしたのだ。毎日えさやり・水やりと散歩に家に帰った。

懐中電灯の電池が無くなって困った。どこに行っても売り切れてるし。懐中電灯があるのに付かない、という状況が歯がゆかった。あと、携帯の充電。私は車の中で充電できてたから控えることなく使ってたけど、ない人は大変そうだった。県外の人から「大丈夫?」って連絡がいっぱい入ってくるんだけど、充電が切れることを考えると複雑な気持ちだっただろう。

車が燃費のよいタイプのものだったので助かった。ガソリンも入れられない状況だったので…。

うちは人数が多かったからかもしれないけど、車中泊は、暑かった。しかし朝方は寒かった。だから毛布もいっぱいのせていた。

大分にある夫の実家に避難

数日後ライフラインは戻ったけど、棚は倒れていてガラスはいっぱいだし、4人抱えて片付けもできないと思い、大分にある夫の実家に避難することにした。小国の温泉に入ってから帰ることにした。阿蘇を出る時は、ちょっとした脱出気分だった。何ともない道を通りながら、阿蘇を抜け出したんだという思いでいっぱいだった。大分では普通にみんな生活していて、昼間に子供を連れている私達は学校休ませてると思われてるよね、と義理の母と話した。

避難所でお風呂に入れなかったので衛生面で問題があったのだろう、一番下の子が尿路感染症になってしまった。大分に着いた日、夜中に熱が出て病院に行ってから判明したのだ。五日間入院した。まだ6ヶ月なので私が付いてなくちゃいけないので、他の子達は義理の母に見てもらっていた。服もそんなには持ってきてなかったので大変だった。

夫は仕事があったので、阿蘇に残った。2階がない部分の和室に布団を敷いて寝ていたそうだ。

阿蘇に帰って

5月の連休中に帰ったんだけど、帰る日が近づいてくるにしたがって、娘が頭痛いと言い出した。私も頭が痛かった。薬も効かなかった。帰んなきゃいけないストレスだろうと思った。帰ったらあのヒドい家の中を片付けなくちゃいけない、憂鬱だと思っていたら、実の両親や夫の同僚などが、私達が大分に行ってる間に住める風にしてくれた。キッチンに置いていた鍋の中のおかずが異臭を放っていたらしい。母が片付けて除菌とかしてくれた。

子供達に防災を教える

阿蘇に帰ってきた日の次の日の夜強い余震が来た。もしまた地震が来たらと思って、子供達に役割分担を施しておいた。例えば、揺れたら長男と長女はドアを開ける係、とか。そんなことを話していたらまた地震があった。動いた子供に向かって、「今の動き良かったよ!」とか言いながら、こっちは心臓バクバクだったけど…。でも、私がトイレとかに行ってる時に地震があったら、一番下の歩けない息子は取り残されると気づいてしまった。なので、私がいなくて地震があった時のバージョンも考えた。もしその時は、毛布の上に下の子をのせてひっぱるようにと他の子に命じておいた。4歳の息子には、お母さんとお父さんを待たずにとにかく家から出ろ、何も見らんでいいけん走れ、と言っておいた。日曜日、みんなで毛布をひっぱる訓練をした。

減ったけど、いまだに余震が来る。揺れたりすると、今地震だったねとか深刻そうに子供が言う。こういうときはこうしなきゃね、という防災の話は、たまにはした方がいいんじゃないかと思っている。日本は地震が多いという事実も含めて、伝えておいた方がいいんではないか。もし家族がバラバラになってしまった時、どこに集合しようとかも話した方がいいのではないだろうか。

備蓄について

備蓄に関しては、お茶とかでなく水があった方がいい。飲めるし、多少手も洗える。やっぱり小さいペットボトルの方が衛生面を考えた時にはいいと思う。お菓子は必須。日持ちするものがいいと思う。うちは避難所暮らしでも家に入れる状況だったので、保管してたお菓子や缶詰、飲み物などを持ってきて飲食していた。

避難所にて

家に帰る時は子供を置いて出ていた。避難所には同じ年頃の子達がたくさんいたので、グランドでサッカーするなどして遊んでいた。幼稚園や小学校関係の知り合いや同僚もいたので、ちょっと行ってくるねと言って出たりした。一番下の子だけはおんぶして出た。その子は何をするにもおんぶしていたので、おんぶひもが重宝した。ミルクについては、自衛隊がすぐに来てくれたので、熱湯はそこでもらったりもした。ミルク瓶は消毒がまだいる時期だったけど、しょうがないので自衛隊から熱湯をもらって洗わせてもらった。とにかく水がなかったので…。母乳との混合だったけど、寝る前に熱湯でミルクを作っておいたら飲みたくなる頃にはちょうどよい温度になっているので、そのやり方を採用した。オムツは、たくさん買いだめしていたので、助かった。

あの時期、暑すぎず寒すぎずの季節だったので良かったねと周りの人間とも話している。体育館でも一人あたり毛布1枚しか配られないので…。ずっと寝るには体が痛いので、みんな厚めのマットとか段ボールとか敷いて寝ていた。うちは小さい子がいるので、車のチャイルドシートにずっと寝せているわけにもいかなくて避難所に寝せていた。幸い夜泣きもしなかったので良かったと思う。でも同じくらいの赤ちゃんで夜泣きがすごい子とかは、夜だけは車中泊していた。

(エリア:阿蘇市内牧二区)

教訓
  • 避難は子供やペットのことも考えて方法を考えるとよい
  • 車は燃費が良い方がよい
  • お風呂に入れない場合は子供の病気に注意
  • 日本は地震が多いということも含め子供に防災教育はしておこう
  • おんぶひもはやはり重宝