ママたちの体験談

スープのボランティアでエネルギーをもらう

熊本市北区 M.O 子供:子供:2歳(男) 公開日:2017.01.19 更新日:2017.01.19

前震

ちょうど主人が帰ってきていて、ご飯の時間だった。引っ越して2週間目の日だった。子供は寝ていた。ゆれは怖かったけど、私は阪神大震災を20歳頃に経験しているので、経験済みのゆれだった。前震の次の日・4月15日から断水になった。トイレに行けなくて大変だった。

本震

本震の時は起きていた。ただものじゃないゆれだと感じた。転びそうになりながら何とか寝室にたどり着いた。寝室には家具がなかったので子供は無事だった。家は危ないということになって、避難しようと思い、コミュニティセンターに向かって歩いていた。そしたら近所の方が一人でおろおろしていらっしゃったので、一緒に行きましょうと言った。その方と私達家族3人で、小学校が避難所になっていると教えてもらい、小学校へ向かった。一晩小学校で過ごしたが、朝にはトイレに行きたくなった。小学校のトイレはすごいことになっていたので、歩いて10分の自宅にトイレに行くために帰った。その後は自宅で過ごそうということになり自宅にいた。

10日間の断水

ガス・電気は大丈夫だったが、断水になっていた。結局断水は10日間ぐらいだった。水道局の給水車が小学校に来ていた。袋も配ってくれていたが、近所の人がポリタンクを貸してくれた。何の備えもしていなかったので助かった。2歳の息子と、ベビーカーで一日に何回か水をもらいに行った。一回一人2リットルという制限はあったが、行けばもらえていた。いつ来るか分からない給水車を皆で並んで待つなどもした。

山鹿市で食料を調達

食べ物を手に入れるために車を走らせながらも、どこに行ったらいいのか分からなかった。コンビニなどには何もなかったし、運よく開いていた弁当屋でめぐりあった食べ物を食べるなどした。やっと買えたものや土鍋で炊いたご飯などを食べて暮らした。近所のスーパーがゴールデンウィークぐらいに開いた。本震の翌日から夫は仕事だったが、車がまだ1台しかなかったので、夫を会社に送りに行ってから、熊本市のすぐ北方向にある山鹿市に食料を調達しに行った。温泉に入り、食料を手に入れてから帰っていた。長蛇の列でお風呂に入れないこともあった。

家族で一緒にいることを選択した

子供は、揺れた時は泣いていたが、あまりまだ地震について分かってはいない様子だった。夫はゴールデンウィークも土日も仕事だった。大阪の実家に帰らないのかとも言われていたけど、夫を置いては行けないと思った。何かあっても家族3人でいることの安心を私は選択し、熊本にいることにした。

避難所の炊き出しボランティアを始める

少し生活が落ち着いてきた頃、何か息子と一緒にできることはないかとfacebookなどで情報を集め始めた。避難所の炊き出しのボランティアは、息子と一緒で大丈夫とのことだったので、活動に加わることとなった。交代で託児をしながらの活動だった。その後、益城の子供達が弁当給食なので、その子供達にあったかいスープとぬくもりを届けるという活動があると話をいただき、有償ボランティアとして、息子の保育園入園を早めて参加することになった。

いのちのスーププロジェクトに参加

益城町の子供達にスープを届ける活動「いのちのスーププロジェクト」に参加して、必要だと思って行動する、そのエネルギーを皆さんからひしひしと感じることとなった。食材は無農薬野菜や無添加の調味料にこだわっており、コストはかかるけれども、給食で命を守っていく手助けをしたいというのがこの活動だ。

地震後にするようになったこと

地震直後は、しばらく扉を開けて寝るなどしていた。今は、ガソリンをいつも満タンに近い状態にしている。お風呂の水もためたままにしている。携帯ラジオ・懐中電灯などを入れた非常持ち出し袋は車の中に入れている。しかし、インスタント食品などを備える気持ちにはならない。地震のことを考えていると当時のことがよみがえってくる。なので食料備蓄など対応する気にならないのかもしれない。またの地震を想定して備える気にはならない。

配給のシステムについて

小さい子がいると食料や水の配給に並ぶことができない。食べ物が来た時、人の群がりの中、子連れで並ぶのは困難だ。配給のシステムはどうにかならないものかと思う。私は、時には子供を遊ばせていて目を離してでも並んだり、また時には並ぶのをあきらめたりした。とにかく「並ぶ」という行為は子連れでは大変だ。

また、食べ物は避難所に避難している人しかもらえないなどの状況もあった。自宅で過ごしている人向けに配給システムがあったらよかったと思う。

落ち着いた頃に出始めた心の影響

地震後は、夫が仕事に行っていて不在だったこともあり、なんとか日常生活を守らなければならないという気持ちだった。直後は気丈だったのだ。しかし、落ち着いた頃息子に対してヒステリーになってしまうなどの現れが出始めた。そこで震災後のケアのような取り組みがあったので話を聞いてもらった。そこで初めて、地震の衝撃は心にも影響を与えていたのだと気付いた。

2016年12月16日 聞き取り