ママたちの体験談

キャンプ気分で子供達の恐怖心をやわらげた

南阿蘇村河陰久木野 N.M 子供:中1(男)、小6(男)、小2(女) 公開日:2016.12.02 更新日:2016.12.02

前震

前震の時はゆれたが、台所のはちみつが入っているプラスチック容器が落ちたぐらいだった。余震が多く、地震にも慣れていなかったので、益城はひどかったねと言いながらテレビをつけたまま寝たり起きたりしていた。

熊本市にある実家は、マンションの高層なのだが、前震ですでに家の中はぐちゃぐちゃだった。前震の次の日である15日は、中学校は遠足、小学校は授業参観の予定だった。授業参観は遠慮して、実家の片付けを手伝うことにした。

本震

夫は前震の時すぐに職場に行って寝ずに仕事をしていたのだが、本震の2〜3時間前には帰ってきていた。本震の時は、何も考えられなかった。ゆれが長くて、どうなってんだろうとおもいつつ時間が過ぎていった。寝起きでぼーっとしていたのと恐怖の気持ちでいっぱいだった。家の中が、前震の時の実家と同じになっていると思った。ゆれがおさまったら、お隣さんの呼ぶ声がした。結局家族で外に出て、軽自動車2台に分かれて車中泊した。

水の工場が支援をしてくれていた

お風呂にはすぐに水をためていたが、正解だった。4日後ぐらいに電気が来て、それと同時にトイレに水がたまる音がしたので水道も通じたのだと気づいた。集落には、水の工場がふたつあり、そこが水の支援をしてくれていたので助かった。それ以外では、集落内に水が湧いているところがあったので漬け物樽にくんで車で持って帰ったこともあった。洗濯機が使えないので、洗濯も不自由した。水をためておくのは漬け物樽の他やかん類も使った。

ガレージで料理

ガスはプロパンガスだったが一時的に使えなくなっていた。カセットコンロとボンベの予備がいっぱいあったので、ガレージで料理はできた。停電していたので冷凍庫・冷蔵庫内の食材を使わなくてはならなかったので、いつもより豪華なぐらいの食事だった。集落では組入りしているが、翌日にみなさん集まっていておにぎりなど作っていらっしゃった。

翌日、集落の奥の方にある南阿蘇オーガニック株式会社の方が物資を集めてくるので何が必要かリストアップしてほしいと言われた。集落を一軒一軒周り、何が必要か聞いてまわった。

支援情報など携帯が役に立った

地域の人達の中でラインができる人達で情報交換するようになった。そのライングループで、支援情報とか、久木野の中で物資が集まっているところの情報とか、体育館の床が抜けているとか、電気がどこまで来ているかという情報などが飛び交い、ずっと役に立った。携帯電話は、情報交換に重宝した。

庭でテント生活

もともとキャンプが好きだったので、地震の後はキャンプ用品一式がとても役に立った。朝からコーヒーをいれて飲んだりもした。怖い・きついなどの思いなどを子供達に味わせないように気をつかった。テントを庭の危険のない場所にはって、20日までテントに泊まった。

神戸に避難、支援情報ページを作る

20日の夜、実家に一泊してからその次の日には神戸の友人の家に子供3人連れて、車で避難しに行った。南阿蘇から離れるのは嫌だったけど、子供のことを考えると離れざるを得なかった。神戸に行く途中、サービスエリアでレスキュー隊の方がいたので、声をかけたら、南阿蘇に行った人達だった。

神戸に行ってからは、遠方からできる支援を探った。フェイスブックで、南阿蘇支援情報交換ページを作った(8月末で閉鎖)。神戸の震災復興研究センターの方ともつながることができた。神戸は震災を経験しているので、南阿蘇にはたくさん来てくださった。

ボランティアグループなど作る

子育て支援センターが避難所になっていたこともあり、お母さん達の行き場がなくなっていた。そこで、ルナ天文台で「お母さんのためのほっこり会」というものを5/24から6月末までの火曜日に開催した。きれいな庭とホールがあり、気持ちを吐き出す場が作れたと思う。

6月中旬ぐらいから、お母さん達が中心となって、いやしのグループ「やわらぎ」を作った。今後いやしが必要になるだろうということで、作ったボランティアグループだ。足湯や整体など、個人個人が得意とすることを仮設住宅などでやっていく。今まで活動をした場には、避難所から来ている人もいたが、家をなくした人などは来る気力もないことが分かった。

教訓
  • キャンプ用品は被災生活でも重宝する
  • 漬物樽のような大きい入れ物も水をためるのに便利
  • ボランティア活動は工夫によって形を決められる
  • キャンプ気分で子供の恐怖心を和らげるのもアリ