ママたちの体験談

台風対策には慣れていたが地震対策は全くしていなかった

益城町広崎 M.S 子供:小3(男)、5歳(男) 公開日:2016.11.28 更新日:2016.11.28

前震直後

前震の時は、近くの実家にいた。子供達やおばあちゃんは1階にいて、私は2階のトイレに入っている時だった。ゆれがきたので、1階に降りて、子供達をこたつの中に入れた。ガラスが割れたり、食器棚の中身が出たりした。何が起こったのか分からなかった感じだったので、とりあえずほうきで片付けをしていた。それから庭に出た。

おばあちゃんは戦争を経験している人なので、「私はここに寝る」と言ってきかなかったが、結局外に連れ出して、ポータブルトイレも外に出した。最終的には親戚が経営する病院に入院させてもらった。夫はその日飲みに行っていたので、迎えに行った。夫の実家は熊本市北区だが、北区にある義理の妹の家に避難することになった。義理の妹の家には結局2〜3泊した。テレビを見ていると、知っている人がテレビにたくさん出ていた。昼は益城に帰って片付けて、夜は北区の義理の妹の家で寝た。

本震直後

本震の後は、足の踏み場もなかった。たんすも落ちていた。壁も外れていた。それでも安全な建物を意味するグリーンの紙が貼られた。実家も足の踏み場もないほどになっていた。家の周りは、コンクリートと土の間が動いて溝ができた状態になっていた。水道管も全てだめだった。

2〜3週間は給水所に毎日行っていた。たまたま父が山の水をくむのが趣味なので、ポリタンクがあった。避難所でもらったビニールのタンクも使った。お水を自衛隊さんにもらったら、車の中に運ぶことまで自衛隊さんがしてくれた。

3週間の車中泊

結局避難所の広安西小の駐車場で3週間車中泊した。避難所の駐車場に行くと、車が100台ぐらい止まっていて、みんながいるという安心感があった。家で寝るのは怖かったので、車中泊していた。実家に車をとめて寝たこともあった。それで序々にならして家の中で寝るようにしていった。

避難所にて膀胱炎に…

避難所のトイレには水の入ったバケツが置いてあった。仮設トイレもあったが、くさいと言って子供達などは使わなかった。本震で夫の実家のある熊本市北区も水道が止まった。

公的な避難所だったので、おにぎりなど食べ物には困ることはなかった。昼間は十日ぐらい妹の家で過ごしたが、たまたま家にあった缶詰や福岡の友人が送ってくれた物資なども食べていた。最初の2〜3日は、コンビニなどいくと開いているけどものが無い状態だった。家にあったじゃがいもや米などで過ごした。熊本市北区植木まで買いだしに行くこともした。

お風呂は、自衛隊さんが出してくれるお風呂や民間の方がされている移動風呂が来るまでは入れなかった。洗濯もできなかった。車で10分ほどの銭湯が無料で開放されており、そこは1人15分限定とか1時間待ちとか2時間待ちで、髪を乾かす暇もなかったけど、入れるのでよかった。

避難所は小学校だったので、保健の先生はいたのだが、私は膀胱炎になってしまった。遠くの病院を探して行くことになった。

子供はやはりトイレに一人で行けない、また親のケアも欲しかった

子供は意外に生命力があって元気だったが、トイレに一人で行けないことが3ヶ月は続いた。また、子供の心のケアのためのアンケートなどは学校がしてくれたが、親のケアはなかったので、あったらよかったなと思う。親の心理状態は個人差があって、うちは夫は大丈夫だったが自分がまいっていた。周りには、閉めきった個室に入れないとか、窓を閉め切れなくなったという人もいた。

重宝したもの、欲しかったもの

あってよかったものは、水が出るコック付きのポリタンク。食器を洗うのにも重宝した。あとは、ペットボトルの大きいのを大きいかごに入れていたのも便利だった。避難所でもらった毛布も重宝した。支援物資の中に靴下があったが、おばあちゃんたちは靴下をかえてなかったので、喜んでいらっしゃった。トイレットペーパーなどは支援物資でもらえたので充分な量があった。紙皿・紙コップなどは避難所ではあまり配られなかったけど、すごく役に立った。

宅急便が止まってしまったので、熊本市の郵便局止めで物資などは送ってもらっていた。

地震から一週間ぐらいは顔を洗っていなかった。ふと気づくと、化粧水などもらえたらよかったと思った。

津波と違っていろんなものはある状態なので、そこは先の大震災とは違うとこだったと思う。

水道やガスが使える友人のところに洗濯はさせてもらいに行った。息子の幼稚園関係の友人や小学校関係の友人など、被災してない人にお風呂も入らせてもらった。また、熊本市桜木付近のスーパーは、並ばないといけないけど物資はたくさんあった。

地震後にするようになったこと

地震以来、食料の備蓄は、2〜3日分用意するようになった。また、懐中電灯も手が届く位置に置いておくようになった。それに、サンダルを常に玄関に出しておき、さっと逃げられるようにしている。車のガソリンも常に満タンにしているし、お風呂は1〜2週間は水を常にためていた。バケツを買い足すこともした。それと、玄関近くの物置にカップラーメン・ドライご飯・お菓子などをストックしておくようになった。

熊本は台風はよく来るので、台風対策には慣れていたが、地震対策にいたっては全くしていなかった。せめて、大きな家具に突っ張り棒でもしておけば、家の中の被害はかなり少なかっただろうなと今となって思う。

ありがったかったのはライン。安否確認やその後の情報収集などにかなり役に立った。もしラインがなかったら、もっとみんな混乱していたと思う。ラインの存在は大きかったと思う。

教訓
  • 懐中電灯は手が届くところに置いておく
  • 大きな家具が倒れると危険、対策を考える
  • 子供はもちろん、親も精神的にまいってしまう可能性がある
  • 紙皿・紙コップなども地震後は重宝
  • 避難所生活では膀胱炎にも注意
  • 避難所生活では化粧水などもあれば〇