ママたちの体験談

真っ暗な街並みをゆずりあいながら皆運転していた

熊本市東区 A.H 子供:6ヶ月(女) 公開日:2016.11.18 更新日:2016.11.18

前震・本震直後

前震の時は、2階で子供を寝かしつけていた時だった。ゆれてから主人が2階にあがってきた。必要最低限のものを持って車で家を出た。近くのコンビニの駐車場は広いのだが、そこに5時間ぐらいすごして、家に帰った。その晩は寝られなかった。

本震の時もかなりゆれたが、このあたりの分譲地9世帯分は、被害は少なかった。主人は夜勤だったので、父が泊まりに来てくれていた。祖母が中央区で一人暮らしをしているので、真っ暗な中、父の運転で祖母を迎えに行った。停電で電車通りも真っ暗、みんなどうしていいか分からないという状況に見えた。信号も付いてないので、みんなゆずりあいながら運転していた。これが一番怖い思い出だ。

水道・電気・備蓄

水道は東区の復旧は遅く、ゴールデンウィークちょっと前までとまっていた。父の知り合いが泗水にいるのだが、そこに水をもらいに行ったり、合志の家族風呂があるところが好きにくんでくださいというところだったので、そこからくんだりしていた。父が山のことが好きなので、その関係でポリタンクがあったのと、坪井にある夫の実家は水道が通っていたのでそこからポリタンクを借りた。あとはペットボトルがゴミ捨て前でたくさんあったので、それに水を入れて持って帰った。

電気は本震の時一瞬切れたが、すぐに復旧した。オール電化なので料理はできたが、水道が通ってないのでレトルトものでしのいだ。食料は泗水に買い出しに行き出来合いのものもだいぶ利用した。食料は備蓄していなかった。京都に嫁いでいる妹や友人が送ってくれた食料がありがたかった。今は産休中だが私の職場は益城にある。そこに来た支援物資などももらった。山鹿の方に買い出しに行ったが、物資は売り切れていた。便利だと思ったのは、レンジで袋ごとチンできるカレー。今回とても助かった。お米は、日頃から無洗米なので本当に良かったと思った。水を使わなくて済むので。

子供は母乳だったので良かった。オムツの買い置きがなかったが、近くのドラッグストアがあけてくれていたのと、保険会社の支援物資でしのぐことができたのでよかった。保育園からいらないかという打診はあったが、うちはまだ大丈夫だと思い遠慮しておいた。

備蓄であったらいいなと思ったのは、飲み水や缶詰。あと、地震後父や祖母、おば家族がしばらく同居していたので、布団や毛布は多めにあった方がよかった。京都の親戚に地震見舞いの現金をいただいたが、お礼に熊本のすいかをお送りしたらとても喜ばれた。

お風呂は3日に1回、合志の家族風呂に入りに行った。渋滞していた。

娘の薬

娘は難病を抱えているので、1日3回の薬を飲まなくてはならない。逃げる時、一番に薬を持って逃げた。地震の何日か前がたまたま診察の日で、薬は不足なくあったのでよかった。でも、病院は開いてなかっただろうし、もし薬が不足している時だったらどうなっていたんだろうとぞっとする。東日本大震災の後、院外薬局に薬を常備するシステムができたと聞いているが、そのシステムのことを知り、院外薬局に薬が常備してあるか確認しておいた方がいいと思う。命にかかわることなので…。

本震の翌日、娘が鼻水を出すなど体調を崩した。かかりつけの病院が開けてくれたので診てもらった。自然災害の後、子供は体調を崩しやすいそうだ。ストレスとかもあるのではと先生に言われた。

不審者について

友人の家は、身内同士でのけんかがあったという。本震の時、家族で小学校に避難する時金庫を持って行こうと70歳すぎのお父さんに言ったところ、持って行かなくていいとお父さんが言ったので持って行かなかったら、30kgの金庫ごと盗まれてしまった。現金10万円や通帳が入っていたという。益城は窃盗や不審者がかなり多かったらしい。職場の社長は、県外ナンバーは全て不審者だと思っていたと言っていた。大事なものは持って逃げた方が良いと思う。

教訓
  • 停電時は信号も機能しない。ゆずりあいが重要
  • 無洗米は備蓄に最適
  • 命に関わる薬は院外薬局などに常備するシステムがあるか確認を