阿蘇市乙姫 H.O 子供:中2(女)、小5(男)、小3(女)、4歳(男)、生後3週間(女) 公開日:2016.11.15 更新日:2016.11.15
前震・本震
前震の時は、2階の寝室で子供達と寝ていた。揺れたので下に降りてテレビのニュース速報など見ていた。たまたま大分の実家の母が泊まりに来てくれていたが、子供達と一緒にいた方がいいと言われたので、2階に戻った。
本震の時は、ゆれで起きた。電気のかさがななめになるぐらいゆれた。あ、ななめになってると思ったら電気が消えた。夫と子供達と一緒に車に乗って、内牧駅周辺に避難した。1時間ぐらい避難して、家の庭に戻り、車の中で一晩過ごした。夫だけは別の車に乗っていた。
本震では、子供の小さいたんすが倒れたり、玄関の高めに作っていた靴箱が倒れたり、冷蔵庫が30cmずれていたり、台所のすぐ横の食器棚がずれて扉をふさいだりといった被害の状況だった。食器は一枚も割れなかった。食器棚の向きとかがよかったんじゃないかと思う。
一番上の子は普段は熊本市内で寮生活をしているが、前震のために戻ってきていたので、たまたま子供が全員そろっていてよかった。もし戻ってきてなかったら、国道や迂回路が通れないので離ればなれになるところだった。
車中泊
車中泊は結局大分の実家に帰る前の3泊ぐらいだった。余震が怖かったので、必要なものを取りに行くこと以外は外に出て過ごしていた。ガソリンは竹田の方に入れに行った。
家の向かいのお宅が、地下水をポンプでくみ上げているお宅だったのだが、地下水が地震の影響からか噴水のようにわき上がっていた。音がうちにも聞こえるほどのわき上がり様だった。なので、水はそこのを使わせてもらっていた。うちには空のペットボトル(2リットル)がたくさんあったので、バンバン子供達に水を入れさせて、30本40本の単位で2輪車で家に運んだ。それがあったのでだいぶ助かった。
庭で乳児を沐浴
お風呂は、大分の竹田の方の公衆浴場に入りに行っていた。竹田で友人などにも偶然会った。生後3週間の一番下の子は、公衆浴場には入れられないので、カセットコンロでお湯を沸かしてベビーバスに入れて、他の子供達に段ボールを持って風よけになってもらい、沐浴した。避難所に行くのも大変だろうけど、生まれたばかりの赤ちゃんがいるところも大変だろうなと思った。私は母乳が出る方だったので、避難所で出ない人がいたらやってもいいぐらいだと思っていた。オムツの買い置きもたまたま多かったので助かった。
食べ物
食べ物は、たまたま前日に買い物に行っていたので、冷凍庫の中などたくさんものがつまった状態だった。冷凍庫のものが停電で溶けてしまう前にと食材を使ったので、普段より豪華なご飯になってしまっていた。明るいうちに調理して明るいうちに食べるといった状態だった。バーベキューの炭の残りもあったのでそれも使ったし、カセットコンロも使って庭で料理して食べた。石油ストーブの小さいのもまだ出していたので、それも使って料理した。
大分の実家に避難
夫は、職場に行かなくてはならなかったが、状況が大丈夫そうだったので家のことを優先にということで家に3日ほどいた。主人が職場に復帰したのと同時に、大分の実家に私と子供達だけ避難することとなった。実家で洗濯もできた。
阿蘇に帰って
実家から帰ってきたのはゴールデンウィーク中だった。帰ってきた日の夕方に電気はついた。水道はもっと遅かった。
ラインについて、私はラインに入ってなかった。でも今回の地震で電話は使えないけどラインは使えるという状況もあったので、やっと入ることにした。情報は、車の中のテレビで得ていた。
今回の地震で思うこと
今回の地震で思うこと。地域の人達とは普段から仲良くしておいた方が良い。この家に住んで9年になるけど、近所の人の携帯番号など知らなかった。大分の実家に帰るにあたって、不審者の情報などもあったので、隣保班の人に私と夫の携帯番号や実家の住所など紙に書いて配ることにした。実家に帰っている間、電気・水はまだきてないよ、とか情報交換できたので、良かった。
(エリア:阿蘇市乙姫)