ママたちの体験談

子供って意外にタフ、親のサポートがもっと欲しかった

阿蘇市内牧 Y.K 子供:小2(女)、5歳(男) 公開日:2016.11.15 更新日:2016.11.15

本震直後

本震の日は何だか眠れなくて起きていた。考え事をしながら起きていたら、なんか揺れていた。何が起きたのか分からなかった。夫に「これ何かな」と聞いたりしていたら、携帯が「地震です、地震です」と言っていたので、地震だと分かった。逃げなくてはと思い、上の子(小2女児)を連れて逃げようとしたら、いつも通る道に夫と下の子(5歳男児)がいて通れなかった。洋服を入れていたクリアケースが夫の上に乗っていたのだ。「向こうから出ろよ」と言いながら、夫はクリアケースを自力でのけて、下の子を連れてきた。「一人忘れるとはどういう神経だ」と言われながら、家族で逃げて、その日は車中泊した。
朝が来るのが待ち遠しかった。あの日の一時間は長かった。車中のラジオで、東海大の近くのアパートが崩れて死人が出たことなどを知った。

食料調達と水・電気

その日は朝から子供にも何も食べさせてなかったので、夕方、阿蘇中学校で自衛隊の炊き出しに子供と並んだ。まだ明るいうちから並んだけど、まだ寒かったので、子供が熱を出してしまった。友人からの情報で、大分の竹田の方は通れる、食料とか買えるとのことだったので、竹田の病院に連れて行った。帰りに食料など買って帰ったが、竹田の方は本当に普通の生活が行われているようだった。
3〜4日で水道が回復した。それから電気が通った。温泉街なので、お風呂は温泉に入りに行った。空いている温泉の情報は、消防に入っている弟から得ていた。それでも避難指示が出ていたので、一週間は車中泊していた。

子供の様子

子供には、家がつぶれるとかは言わないように注意していた。「外の方が安全じゃない?」とか言い回しに気をつけていた。山に近づけなくなったら困るので、土砂崩れが怖いとかではなく、「大きな山猫が住んでいるから今は近づけないのよ」などと言っていた。
小学校は3週間後ぐらいに再開した。1ヶ月後ぐらいに授業参観のようなものがあり、子供の様子が変わったか、などと話があった。そしたらみんな、長々と話していた。未だに親と手をつながないと学校に行けないとか、橋がつぶれるとか学校がつぶれるとか言っているとか。思ったんだけど、小さい子ほど大丈夫で、小学生の方が意外と一人で居られないとか一人でトイレに入れないとかが多い気がした。
電気が通ってないことで、テレビもゲームもない生活が続き、子供とともに暇だった。避難所では、電気屋さんが無料で出したりなんかしている携帯の充電場所があったので、そこでみんなゲームの充電をしていた。
保育園にも小学校にもカウンセラーがすぐに入った。夜敏感になって寝られない子が多いらしく、小学校では授業中に寝てもよいことになっていた。半分ぐらいは授業中に寝ているらしかった。うちの子は体育の時間だけ起きているようだ。それが今の悩み。

親が感じた心身の不調

思うんだけど、子供のケアはすごく密にされていてありがたかったが、親のケアは何もなかった。それが不満。まずは子供なんだけど、親のサポートがもっと欲しい。自分は、学校に子供が通い出してからめまいがするなど不調を感じるようになった。必要以上に考えてしまい、また子供の前では不安を口にできないので、余計ためてしまう。阿蘇山が噴火するんじゃないかとか怖い。同じ状況にいるママと話せる場が行きやすいところにあったらいいと思う。子供は意外とへこたれていない。原因不明の熱が2〜3回あっただけ。あと、小児科とかは地震の後1週間ぐらいしたら派遣の医者達で充実していたが、歯医者は充実してなかった。歯医者も含めて医療が充実しているとだいぶいいなと思う。

(エリア:阿蘇市内牧五区)

教訓
  • ママ同士が不安を分かち合える場を
  • 歯医者などの医療が充実してほしい