あの日から一年

筆:宮崎景衣更新日:2017.04.14

2017年4月が来ました。熊本地震から1年たちます。何の前触れもなくきた熊本地震の前震、そしてもう大きな地震は来ないだろうと多くの人が思っていたなかやってきた本震。明るい月夜だったあの日のこと、自分やママ達の体験談を読むとまざまざと思い出されます。余震のたびに娘を抱えて外に出ていたあの日々、自分の臆病さをこれでもかと思い知りました。それらを思い出すにつれ、もうあんな思いはしたくないという気分に満ち溢れてしまいます。これから毎年4月になると、こんな気持ちになるのでしょう。

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変わってしまった人生観

うちは家の中はぐちゃぐちゃでしたが、建物は無事だったので、あの非常事態がうそのように、平穏な生活を取り戻しています。しかし、大切な人や家をなくしてしまった人にとっては、穏やかな生活はまだまだ先のことでしょう。まだ地震の爪痕が残る風景に車を走らせると、地震前と地震後では何もかもが変わってしまったという思いにとらわれます。私自身も、この一年で色々なものについての価値観ががらりと変わってしまいました。

防災意識の芽生え

一番変化があったのは、防災についての心構えです。2011年3月に東日本大震災があっても、地震はどこか他人事だった私。それを自分の事として考えられたのは、悔しくも熊本地震に遭ってからでした。2011年に私はママになって、家族の健康・食事などについてより一層責任を持って考える立場になりましたが、いつか自分が大地震に遭うということは思ってもみませんでした。まさに、熊本地震で芽生えた防災意識だったのです。

熊本地震があった年の夏頃にはママ友やその知り合いにも地震の話を聞きはじめました。この体験談の数々をいろんな人に聞いてもらいたいと思い、様々な支えがあって「ママたちの熊本地震」サイトが誕生しました。大地震に遭ったことがない人でも防災について考えることができるようにとの思いを込めたこのサイトですが、これからもママ達の体験談や防災ハウツー記事の充実を図っていきたいと思います。

私が始めた防災

防災意識が芽生えた私が一番に始めたのは、お風呂にいつも水を貯めておくことと、車のガソリンが半分に減ったら入れておくこと、懐中電灯を枕元に置いて寝ることでした。この三つは、簡単にできる防災として私が実行しやすいものでした。水については、私が住んでいる地区には、水道の余剰水が汲める場所があります。しかし、この先いつも汲める状態だとは限らないと思うので、水も備蓄するようになりました。いつでもフレッシュなものが飲めるよう500mlの飲料水と、調理などに大量に使うための大きめのペットボトルを備蓄しています。そのほかコック付きのポリタンクを二つ、配給の水を汲みに行くために用意しています。

しかし、食料についての備蓄は、なかなか進みませんでした。ローリングストック法などというやり方があると聞いてはいたものの、その具体的なやり方を考えようとするのですが、意外に難しくて、完全に思考はストップ状態。その危機的状況が破られたのは、「ママたちの熊本地震」の取材で防災士・柳原志保さんの話を聞いてからです。特売日に自分や家族が食べなれた好きなものを多めに買っておき、日常的に食べるようにし、また特売日に買い足す。そんな簡単で楽しいやり方を教えていただいたのです。こうして私は食料備蓄も始められることとなりました。また、カセットコンロも、ガスが使えない時のため、また庭で調理する必要が出てきた時のためにボンベを忘れずに備えるようになりました。

他にも、寝室には物を置かないようにする・逃げ道をシミュレーションしてその通路にはものを置かない・スリッパを常備しておく・スマホや車の鍵は物に紛れないところに置いておく・生理用品は多めにストックしておく、などのことをするようになりました。

すべてに感謝して生きる

「ママたちの熊本地震」の取材では、様々なママと話をしました。その中で私もだいぶ影響を受けました。例えば、「一日一日・一瞬一瞬を大事にしたいと思う」と語ってくれたママ。確かに自然災害は私がコントロールできるわけではないけれど、今日や明日に何かが起こっても悔いがないと思えるような人生にすることは、心がけ次第でできそうなことです。後悔のない人生を生きられるよう、何気ない日常の幸せ、時折訪れる変化を伴った幸せ、全てに感謝して生きていきたいと思うようになったことも地震前と比べて変わったことの一つです。

また、自分も困っていたはずなのに人のことを考え何かできることはないかと実行していたママ。次の地震はあってほしくないですが、もし起こったら、自分はそんな行動ができるような人間でありたいと思いました。私は本震の3日後に福岡県久留米市の妹の家に避難しましたが、そこでも熊本地震で被災した人のために何ができるかと本気で考えてくださっている方々に出会いました。

熊本地震後、私の中では神様のような大きな力は存在するという結論になりました。偶然と言って全てを片付けることは簡単かもしれないけれど、自分や家族が食器棚や大きなたんすの近くに寝ていなかったこと、また人が人を助けている場面を多く見たことなどから、何か大きな力・私を守ってくれる存在が確かにあるのだと思わずにいられなくなりました。

この地域で生きていくという覚悟

今、日本中で大きな災害が起きています。どこに暮らしていても自分の状況に合わせた防災が必要な時代かもしれません。私の場合、熊本県の南阿蘇村に住んでいますが、熊本市内に行く国道が土砂に埋もれました。JRも不通のままです。迂回路は運転が怖く、私の運転技術では気軽に熊本市内へ行くということはできなくなりました。しかし、国道が通れるようになってJRも通じたからといって、果たしてこの臆病な私が地震を思い出さずに無事に熊本市内にたどり着けるかどうかは微妙です。ですので、私はなるべく阿蘇を出ないで生活できるようにすることを覚悟しています。夫の職場が阿蘇以外の場所になったら阿蘇を出なくてはなりませんが、そうでない限りは阿蘇で充実した生活を送れるように努力する、それが今の私の防災だと思っています。

しかし、何もかも阿蘇で完結できるわけではありません。洋服や食べ物一つとっても、迂回路を通って苦労して物を運んでくれている人がいるから成立している私の生活なのです。そこは悩ましいところです。私とは逆に、いつでも住んでいる地域を出られるようパスポートをいつも持っているという人もいると思います。いざという時には外国にも出る、そういう覚悟を持っている人もいます。しかし、今の私にとっては、「この地域で生きていく」という覚悟を持つことが防災なのです。